今日は【石の日】ラピュタの飛行石からの伝言▶︎バルス〜人は自然なくして生きられない〜
2023/01/04
おかしいなって気づくきっかけは
いくらでも転がってるのに
皆、気づかないのかな・・・
(sharefree)
シナリオ通りに
順調に進んでます。
これ、ファンタジーなんかじゃなく
リアルなんです。
いつまでこういった
壮大な茶番劇を続けますか・・?
西洋占星術的には2020年が
破壊と再生の年でありその完成が
2023年とも言われてます。
う〜・・・ん。今年だ。
さて気を取り直してみなさん
この映画ご存知でしょうか?
(スタジオジブリ)
「天空の城ラピュタ」
何度観ても最高と絶賛されている
名作中の名作・・・らしいですよね。
らしいというのは実は・・・私
ジブリ映画の中で唯一
この作品だけ全部きちんと
観たことなかったんです。
(けっこう周りにビックリされます)
で。
やっと全てじっくり
鑑賞しました。はい・・・
納得しました
了解しました
ありがとう
というのが率直な感想です。
どうして今この時期に私は
この作品を改めて
観ようと思ったのか。
(宇宙はそう促したのか)
私なりに充分理解したつもりです。
さて・・・
2020年にスタートしてから
2年が経過。
風の時代。
(Pixabay)
私は日々の生活の中に
目に見えない世界の力を
たくさん取り入れていますが
その中のアイテムの1つが
「石」です。
石のもつ力は本当に
とてもパワフルなんですが
(基本私が毎日飲むお水は石の波動を転写したモノです)
『風(のエレメント)の石』
と言われている石があります。
フローライトです。ご存知ですか?
紫外線を当てるとうっとりするような
幻想的な光を放つことから
(出典)
和名では「蛍石」と呼ばれます。
ラピュタの飛行石は、そう
このフローライトですね。
シータの首飾りを見た時は↓
(スタジオジブリ)
「ラピスラズリかな?」
って思ったんですが
ラピュタ城の中にある
この巨大な結晶を見た時↓
(スタジオジブリ)
「フローライトだ」と確信しました。
というのも
フローライトには劈開っていう
一定の方向に割れやすい性質があり
この劈開に沿って割っていくと
八面体になるという特性があります。
(出典)
でね、このフローライトの形
八面体(オクタヘドロン)っていうと・・・
(Pixabay)
上向きピラミッドと
下向きピラミッドが
うまく融合してますよね。
そう、これこそまさに
風の時代の象徴である
バランスのエネルギーが
表現されています。
風の時代は私たち1人1人(個人)が
自由に軽やかに
オリジナリティを発揮することで
幸せの波に乗っていける時代ですが
自由に生きるために
必要不可欠なもの、それが
「バランス」です。
なぜならこの世の全ては
陰陽のバランスで
できているからです。
バランスについては
こちらの記事でも詳しく触れてます↓
風の時代では精神的、感情的に
自分の内側のバランスが取れていることが
幸せに生きられるか生きられないかの
鍵になってくると思います。
内面のバランスが取れている人ほど
自分を信じて行動できる強さをもてます。
つまり「自由」に生きられるんです。
時代を謳歌できること間違いなし。
逆に、内面が整っていなくて
バランスが崩れている人は
過去のトラウマや古い価値観
カルマなどに縛られるので
これまで以上に身動きがとれなくなる。
時代に淘汰されていくこと間違いなし。
じゃあ内面を整えるためにはどうすればいい?
「バランスを取る」ってどういうこと?
っていうとそれはズバリ
「極端にならない」ってことです。
例えば
- 物事に執着しないけど
まったくの無関心でもない。 - 鬱でもなく、躁でもない。
- 熱くもなく、冷めてもいない。
- 悪いことも良いこともすべて受け入れる。
- 思考も使い、直感も使う。
こんな ”中立的” な感じ。
もし自分の心の振り幅が100cmあるとしたら
0cmか100cmどちらか一方に傾くのは危険。
自由でいるためには
真ん中の50cmあたりを意識ですね。
いつもニュートラルな状態にいられる人って
ホントに自由なんです。
視野が広くて、どこにだって行けるから。
(Pixabay)
残念ながら私たちはどうしても
2極思考に陥りがちです。
「敵か味方か」
「善か悪か」
ある意味仕方のないことではあります。
これまでの地の時代ではそれが
重要視されてきたわけだからね。
ただ・・・567禍の今
随所で分断と対立を目の当たりにし
心がざわつく人もきっと
たくさんいるはずです。
(私もその1人です)
(Getty Images)
私はいつも発信しているように
マス9には反対だし
枠chinは有害無益だと思ってるし
農薬や添加物や電磁波など
社会毒を避けた、できる限り
自然に沿った生き方をしたい
と思ってます。
ここは自分軸として
ブレない自信があります。
でもだからといって
自分と違う価値観の人々を嫌いにはならないし
彼らの考えを私が変えようとも思わない。
ここをいつもものすごく意識してます。
じゃないとやっぱり私も未熟な人間だから
他人を自分の自分軸に
巻き込んでしまいそうになる。
バランスってね
不調和と調和が交わる点
だと思うんです。
つまり
バランスが取れている状態ってのは
居心地が良くて幸せいっぱい!
ではなくて。
そうじゃなくて
不一致や不調和があってもありのままに
ストレスを受けることなく
すべて受け入れるってことです。
つまり
調和に囚われないってこと。
生きていく上でバランスは大切。
でもそれは不一致や不調和を
否定するってことではありません。
不一致や不調和を認め共に
流れる(循環する)ことで
さらにより深いところでの
バランスのエネルギーを生み出せる。
そう、すべてのエネルギーと
共に在ることを目指す。
これ、全ての命と共生しよう
ってことと繋がりますね。
これからは風の時代だぞ〜バランスだぞ〜
ってことでラピュタは私に、今後の生き方を
再確認する機会を与えてくれたわけですが
実はラピュタから
受け取ったメッセージは
これだけではありません。
ラピュタというのは超文明都市であり
圧倒的な超科学技術で
天空から全地上を支配していた
恐怖の帝国ともいえます。
そんな巨大帝国がなぜ
滅んでしまったのか?
これこそがラピュタが
私(今の世の中)に語りかける
最大のメッセージ
いや
最後通告だと思います。
ラピュタ帝国滅亡の理由は
大きく分けて2つです。
①原因不明の疫病
ムスカの家に伝えられていた
『ラピュタ伝承』によると
ラピュタが滅びた理由については
こう解説されています。
「最高の富を持ち
贅沢の限りを尽くしていた
ラピュタ人たちは
正体不明の疫病に襲われた」
(Getty Images)
この正体不明の疫病とは
免疫機能を侵す病気だったようで
ラピュタの科学をもってしても克服できず
免疫力が下がりやせ衰えた人々は
次々と亡くなっていったとのこと。
そこで
「このままではラピュタ人が絶滅してしまう」
と危惧したラピュタ王が
地上に舞い戻ることを決断し
降り立った場所はゴンドアの谷という
人気のない静かな場所だったそう。
そりゃそうだよね。
長い間世界を思うがままに操り
金と武力によって人々を
支配してきたラピュタ人です。
例え病に冒され弱った状態だったとしても
地上の人間たちが手を差し伸べる可能性は
限りなく低かっただろうし
反発や報復があるかもしれない
と考えるのが妥当です。
とすると・・・?
原因不明の疫病とはもしかしたら
高度な科学技術を手に入れ
驕り高ぶってしまったラピュタ人への
天罰だったのかもしれません。
(じゃあ567も・・・?)
そうそう、天罰といえば
旧約聖書「創世記」の11章のエピソードを思い出します。
まだ世界に1つの言語しかなかった頃のお話です。
同じ言葉を話すひとつの民族として一体感をもち
技術を体得していった人間たちは
自分たちの力を示そうとしだいに傲慢になっていきました。
そして「神と対等になりたい」という野心から
神の作った石や漆喰ではなく
自分たちの技術が生み出した煉瓦やアスファルトを使って
天まで届くほどの高い塔を作ろうと企みます。
その様子を見て
人間たちが自分の力を脅かすのではないかと危惧した神は
1つだった人々の言語と住む場所をバラバラにし
地上を混乱させます。
意思疎通が難しくなった人間たちは
力を合わせることができなくなり塔の完成は
夢に終わってしまうんですがこれがみなさんご存知
バベルの塔の神話です。
(Getty Images)
バベルの塔の絵画は数多くありますが
雰囲気といい放つオーラといい
ラピュタとよく似てませんかね?
「バルス」という
たった一言の滅びの言葉によって
一瞬のうちに崩れ去ってしまったラピュタ。
言葉の分裂によって完成を見ることなく
廃墟になってしまったバベルの塔。
両者から学べることは何でしょうか?
今の世の中はマス9が必須で黙食を強いられ
人との距離に制限があります。
言葉とコミュニケーションといった観点からも
よく考えてみてください。
そういえば・・・
ラピュタに登場する巨大戦艦のゴリアテという名前も
旧約聖書に登場する巨人兵と同じですので
ラピュタと旧約聖書はなにかしら通じるものがあります。
②科学の力への極端な
依存・盲信
依存・盲信
私、「天空の城ラピュタ」って
自然と科学を対のテーマにした物語
だと思うんです。
ほら、ラピュタ城って
上層部が「自然」で
下層部が「科学」ですよね。
まさにこれです、これ。
(Pixabay)
上のピラミッドが自然のエネルギー。
下のピラミッドが科学のエネルギー。
このバランスが崩れたことで
ラピュタは崩壊したんです。
つまりラピュタ(人)は
科学の力を異常に発達させ
頼りすぎたことによって
自然を無下にしてしまった。
大地から離れ
自然を顧みようとしなかったために
自然の一部である自分たちの生命をも
滅ぼすことになってしまった。
ムスカとシータが対決するシーン
覚えてますか?
ここはお墓よ。あなたと私の。
国が滅びたのに
王だけ生きてるなんて滑稽だわ。
あなたに石は渡さない!
あなたはここから出ることもできずに
私と死ぬの。
今は、ラピュタがなぜ滅びたのか
あたしよく分かる。
ゴンドアの谷の歌にあるもの。
土に根を下ろし
風と共に生きよう。
種と共に冬を越え
鳥と共に春を歌おう。
(出典)
鳥肌が立ちました。
私たちへの警告だとしか思えなかった。
567の蔓延により
パニックに陥っている人間たち。
冷静になれ。自然からの声を聞け。
567が最初に発生した中国武漢は
5Gという科学技術が
世界で最も早く整備された都市でしたね。
これはなにを意味するんだろうか。
上記したシーンでシータの言葉に対し
ムスカはこう答えています。
ラピュタのもつ科学技術の進歩と
軍事力の強大さこそ
人類が求めるものだという彼は
どこまでも際限なく
利便さと権力を追い求め
大切なものを失いつつある
現代人そのものだと思います。
さらに
「何度でも甦るさ」という言葉は
間違いを犯して滅んだとしても
人類はいつかまた
同じ過ちを犯す可能性があるという
人間の愚かさを
示唆しているようにも思えます。
そして・・・
なにより私の心を
一瞬にして凍りつかせたシーン。
(スタジオジブリ)
ロボット兵士によって皆殺しにされた人々が
飛行船から落ちていく様子を
「見ろ、人がゴミのようだ」
と嘲笑う彼の姿に私はどうしても
誰かさんたちを重ねずにはいられなかった。
映画の中だけじゃない。
私たちが生きるリアル世界にも
ムスカは存在します。
それもたった1人ではなく
大きな組織、企業として。
気づいてますか?
さて、結局ラピュタ人は
疫病が治まってからも
ラピュタには戻りませんでした。
なぜでしょう。
私は思うんです。
地上の大自然こそが
「億万の宝物にも勝るもの」だと
気づいたからじゃないかって。
人間は自然がなければ
生きることができません。
いかに科学が進歩しようとも
これだけはゼッタイです。
自然(の力)なしに私たちは
生きることができません。
ちなみにこの「自然」という言葉
昭和時代の辞書には
「人間を含め、山川・草木・動物など天地間の万物」
とあるのに対し
平成時代の辞書には
「1.天体、山川草木、動物など人間社会をとりまき
人間となんらかの意味で対立するすべてのもの。
2.広義では人間そのものを含むことがある」
とあります。
意図を感じます。
思い出してください。
ラピュタの最後の姿。
(スタジオジブリ)
木の根が科学の象徴である下層部にまで
侵食してました。
どんなに科学が発達しても人は自然の前では無力だ
ということです。
というか
人は大自然という大いなる力によって
ただ守られ生かされている
という存在です。
感謝こそすれ
収奪(支配)などもってのほか。
ラピュタを襲った謎の疫病が
567だと考えたら・・・?
ラピュタ人は
地球に降り(逃げ)ることができたけど
私たちにはそんな場所なんてありません。
地球を脱出して
火星や金星にでも逃げますか?
何度でも繰り返します。
人は自然を離れては生きていけません。
人は自然を離れては生きていけません。
人は自然を離れては生きていけません。
(Pixabay)
ラピュタが滅びた理由は
・免疫機能を侵す疫病が流行ったこと
・科学の力に頼りすぎて
自然から離れてしまったこと
・科学の力に頼りすぎて
自然から離れてしまったこと
でした。
感じてください。
気づいてください。
さてまとめよう。
「天空の城ラピュタ」が公開されたのが
1986年、バブル絶頂期。
好景気で浮かれた時代の中
自然や文明の破壊を批判する作品を創り
警鐘を鳴らしながらも
「この世は生きるに値するものだ」と
伝え続けてくれた宮崎監督に私は
心からの敬意を表するとともに
日本人であることの誇りと自信を再確認し
自分にできることを
できる範囲で精一杯続けていこうと
改めて思います。
最後に。
人類は今リアルラピュタの世界に
向かおうとしています。
映画の中ではシータとパズーが
「バルス」と唱えた後
ラピュタは自己崩壊し
墜落していきました。
破壊と再生。
(Getty Images)
破壊には必ず再生がセットです。
いったん破壊されることで
全く違うものが生まれます。
今地球が破壊への道を歩んでいるのだとすれば
それはその後にやってくる
輝かしい「再生」へのステップのはずです。
なるほどそれで腑に落ちます。
ラピュタ王族の末裔であるシータが
なぜラピュタの崩壊を選んだか。
彼女には見えていたんでしょう。
「滅び」の先にある希望の光が。
滅びがあってこその再生。
だから「バルス」なんですね。
バルスというのはラピュタ語では
「閉じる」=「終焉」を意味しますが
トルコ語では「平和」を意味します。
いつも宇宙は完璧で
粋な計らいをしてくれる。
今起こっている
残酷に思える世の中の惨事は
地球の明るい未来と表裏一体。
世の中には必要なことしか起こらない。
それなら
未来は明るい。
大丈夫。信じよう。
合掌
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